あらゆる分野で生産効率は上がり続けているはずなのに,なぜ過労の問題が深刻化するのか

2023/07/21

📂経済学の違和感 ブラック企業 違和感Lv.4 過労 生産効率は上がっているのに・・・ 労働力の無駄遣い 労働力過多 労働力不足

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  • 2023/07下旬 初稿公開

生産効率が上がれば,
人は楽ができるのではないのか

すべての作業は自動化され,
必要な物はすべて自動で生産され,
人はほとんど働かなくても生きていける・・・

そんな人類の夢を描いたフィクションは
少なからずあると思います。

そのような世界が人類にとって
本当に良いかどうかは議論の余地がありそうですが,
各分野の生産効率がどんどん上がれば,
その夢のような世界に近づけることは
できそうだと思いませんか?

すなわち,

多くの人々が労働時間を大きく減らし,
家族との触れ合いや,
個々人の趣味や研究,自身の研鑽や鍛錬などに
存分に時間を割けるようになりそうだ

と,そう思いませんか?

筆者はそう信じている方です。

しかし,現代の日本がその方向に向かっているとは,
到底思えません。

どの分野でも,生産効率は上がり続けているはずです。

商品やサービスの高度化・複雑化により,
以前より効率が下がっている部分もあるでしょうが,
全体的には上がり続けていると考えて
間違いないと思います。

にもかかわらず,ブラック企業や過労死の問題は,
むしろ明らかに酷くなっています

なぜこんなことが起こるのか,
筆者は納得がいきません。

本稿では,その理由について考えたいと思います。

結論を先に知りたい方へ

この記事の主張を先に確認したい方は,
次の開閉ボックスを開いてください。

この記事で主張すること
  • 現代の日本の生産効率は,
    国内で必要とされる物やサービスを
    比較的少ない労働力で十分に供給できる水準にある
  • 現代の日本では,
    財務状況に余裕がない世帯や企業が多すぎるため,
    社会に貢献する仕事以外の,
    利益を奪い合うための仕事 が
    非常に多くなっている。🛎️ 営業,広告,マーケティングなどが典型例。
    それらは不要ではありませんが,
    現代日本において過剰であることは
    明らかでしょう。
  • 利益を奪い合うための仕事の増加が,
    過酷な労働環境を産み出している。
    労働力不足の分野が生じているのもそれが原因。
  • 各企業が利益を奪い合うための仕事を減らし,
    労働力不足とされる分野に労働力を回すことは,
    本来は問題なく可能であるはず。
  • 根本解決のためには,
    利益を奪い合うための仕事を減らしても問題ないと
    各企業が思えるような経済環境を作ることが必要。🛎️ そのための経済学試論を
    姉妹サイトで紹介しています。

それでは,本論に入ります。

現代日本の経済環境

当ブログの別の記事「異様なまでにフローを重視し~」で
出した例ですが,次のような2つの世帯を
思い浮かべてみてください。

  • 世帯A:収入源は世帯主のみ,年収400万円,
        現在の貯金額500万円,借金なし
  • 世帯B:収入源は世帯主のみ,年収400万円,
        現在の貯金額30万円,借金なし

家族構成などの諸条件も同じであるとすれば,
この2つの世帯の違いは貯金額だけですが,
BよりはAの方が,
生活に余裕があると感じるであろうことは
疑いの余地がありません。

筆者は,日本の非富裕層において,

Aのような,貯蓄残高に比較的余裕がある世帯が減り,
Bのような,貯蓄残高の低空飛空を強いられる世帯が
大幅に増えた

のではないかと考えています。🛎️ 世帯だけでなく企業も同様。

以下は,この仮説を正しいと仮定した上での考察です。

以下で「貯蓄残高が少ない」のような表現を使った場合,
債務超過で借金に苦しんでいるケースも含むものとします。

社会の要請

漠然とした定義になりますが,
社会の維持やより良い社会の実現のために,
各分野における物やサービスの供給部門に対して
求められる仕事の内容や質を
「社会の要請」 と呼ぶことにします(独自用語)

分かりにくい表現になっていて恐縮ですが,単純な話です。

例えば,食料生産に対する「社会の要請」は,

  • 生産量が十分であること
  • 種々の品目がバランスよく生産されていること
  • 安全性に問題がないこと

といった具合です。🛎️ 細かく挙げればまだあると思いますが,
この記事においてそのあたりの細部は
重要ではありません。

「社会の要請」を満たすのに
あまり役立たないと思われる仕事

現代の日本を見ていると,
「社会の要請」を満たすのにさほど役に立っていない仕事が
かなりの割合で存在すると感じます。

反社会的なものは当然ですが,
一見すると真っ当な仕事のようであっても,
省略しても社会にとって不利益にならないような仕事
至る所で行われています。

そのことを実感していただくために,
該当する例を挙げていきます。

  • 以下の列挙は,利益を主眼にした仕事がいかに多いか,
    日本の労働力の使い方がいかに無駄だらけであるか
    示すだけのものです。
    お急ぎの方,興味のない方は読み飛ばしても
    差し支えありません。
  • 主題かられる内容なので,
    開閉ボックスにしています。
  • ここに挙げる例の中には,筆者の無知ゆえに
    誤解しているものもあるかもしれません。
    しかし,仮にそうであるとしても,
    労働力の無駄遣いについて考えるきっかけになればと思い,
    多少の危険性を承知で踏み込んでいます。
社会の要請に合っていないと思われる仕事

営業・広告合戦

営業や広告に対する「社会の要請」は,
消費者が手軽に商品やサービスの存在および
その価値を知ることができる環境を提供することでしょう。

消費者が手軽に商品の存在やその価値を知るには,
各社の商品カタログや公式ホームページ等だけでは
やや不十分です。

多少の広告や営業が社会にとって有益であることは
間違いありません。

それによって欲しい物に出会えたと喜ぶ人も
少なくないでしょう。

しかし,現代の広告競争は異常です。🛎️ 日本に限らず。

街に出れば,広い駅の壁のほとんどが広告で一杯だったり,
インターネットの多くのサイトが広告だらけで
利便性を損なっていたり,
メールボックスにいわれのない広告メールが
たくさん届いたり。

中には,本当に価値ある商品を人にすすめたいとの
願いを込めた広告もあるのでしょうが,
そんなものは少数派です。

自身が紹介する商品やサービスが
他社のそれと比べて別段優れてはいない,
下手すると劣っていることを知りながら,
長所だけを前面に出したり,
言葉巧みに良くない商品を良く見せようとしたり,
最悪の場合,最初から消費者を騙すつもりであったり。

そのような,金銭欲にまみれた広告が大多数です。

自身の利益のために,
というより自身が生き残るために,🛎️ 比喩ではなく
餓死しないために。

他人に迷惑をかけることすら気にしていられない人が,
それだけ多いのだろうと思います。

営業についても似たようなものです。

世の営業職の人には申し上げにくいことですが,
現代の日本で行われている営業活動の中で,
本当に社会に喜ばれている活動の割合は,
高いとは言えないと思います。

顧客のためになる営業を常に心がけている方であっても,
会社の利益を守るために,
信念と異なる業務を求められるケースは
少なくないのではないでしょうか。

  • 自社製品の良い点だけを説明する。
  • 顧客のご機嫌を取るためだけの接待をする。
  • 飲みたくもないお酒を飲む。
  • 家庭や企業を訪問して煙たがられる。

そういった仕事をしなければならない方々の心労は
察するに余りありますが,残念ながら,
そのような活動が社会にとって
プラスになっているとは思いにくいところです。

消費者が商品やサービスの情報を
手軽に知ることのできる環境を形成するためだけなら,
個人の適当な感覚ですが,現存する広告の数%と,
現在行われている営業活動の2割程度もあれば
十分ではないかと思います。

それ以上の営業・広告活動は,
会社のためにはなるのかもしれませんが,
社会にとっては無駄です。

無駄どころか邪魔になっています。

社会にとってプラスにならない仕事に,
いかに多くの人が携わっているかが分かります。

もちろん,現在,広告や営業に携わる人を
批判する気はありません。

たとえ,会社の利益や自身の給料の心配しか
していない人であってもです。

多くの人にとって,
自身の所得や貯蓄残高を維持するために,
反社会的でない仕事は何でもしないといけないと
考えざるをえない世の中ですから。

為替・株式のトレーダー

株や為替のネット取引で生計を立てている投資家が
結構いると聞きます。

その技量はすごいと思いますが,
おそらく社会には何のプラスもないですよね。

少なくとも,社会貢献のためにその作業をしている人は
極めて少数だと思っています。

自分が応援したい企業の株を長期間保有することで
その企業を金銭的に支援しようといった理念など微塵もない,
自身の預貯金が増えれば喜ぶだけの人たちによる
壮絶なお金の奪い合い …というイメージしかありません。

そう思うのは,筆者の無知ゆえなのでしょうか。

金融機関や保険会社の資産運用部門についても
似たようなものではないかと疑っているのですが,
もしかしたら社会貢献の意味合いもあるかもしれないので,
そちらについては言及を控えておきます。

過剰な新商品開発・品質改良

市場にある商品の品質は十分に高いと思われるのに,
会社の利益を死守することを目的として
新商品開発または品質改良を試みるケースも
結構あると思います。

品質がさらに高まれば,
社会の要請により良く応えられるとは言えますが,
それは二の次で,会社の利益が最優先の考え方です。

ここでは,美味しい食べ物を例に挙げましょう。

今の日本の食べ物は,十分に美味しいです。

筆者自身も,適当に買ってきた食べ物を口に入れてみて,
想像を超える美味しさに驚くといったことを,
しばしば経験しています。

食べ物が美味しいことは良いことです。

でも,これ以上美味しくする必要,
ありますかね?

日本の食に対する評価は,
国際的にも高いと聞いています。🛎️ ネットで目にする程度ですが,
良い評価が悪い評価より
圧倒的に多いことは明らかです。
統計を取るまでもなく,
その認識で正しいと考えてよいでしょう。

どうして日本は,こうなれたのでしょうか。

日本人特有の奉仕精神で,
より美味しいものを食べてもらうために
努力したからでしょうか。

それもあるとは思います。

しかし筆者はもう1つ,
ネガティブな仮説を立てています。

それは,貧富の格差拡大が
原動力になったという説です。

すなわち,

食品を提供する業者の多くが
経営にあまりにも余裕がないため,
既に十分に美味しい食品を
さらに死に物狂いで美味しく改良しなければならず,
その結果として日本の食のレベルが
他国を圧倒する水準に到達した

という説です。

要するに,ハングリー精神 ですね。

他の先進国と比較すると,
現代日本の貧富の格差は,
かなり酷いと考えています。

他国よりも貧富の格差が酷かったから,
他国よりも食べ物が美味しくなった…のだとしたら。

そう考えると,想像を超えるほどに
美味しい食べ物を口にするたびに,
少々複雑な気持ちになるのです。

同種の現象は,他の分野でも
見られるのではないでしょうか。

IT,工業,医療など,
科学技術系の研究開発は
ここには含まれないとお考えください。

人間が解決できていない問題は多数残っており,
科学技術がこれ以上進歩する必要がないとは
とても言えませんので。

娯楽産業(供給過剰)

アニメ業界やゲーム業界を見ていて思うことですが,
明らかに供給過剰です。

筆者は別に娯楽産業の必要性が低いなどと考えるほど
頭が固くはないつもりですが,
こんなにたくさん作る必要があるとは思えません。

人の趣味は千差万別ですから,
多種多様な作品が出てくることは
「社会の要請」に含まれています。

しかし,現在の日本において
「社会の要請」をはるかに超える数の
作品が制作されていることは,
ほとんどの人が同意するところでしょう。

しかも,作品数が増えるにつれ,
質の維持が難しくなってきているようでもあります。

アニメについては,以前,アニメ化するための原作
(漫画・小説など)の枯渇が問題になっているという
ニュースを見たことがあります。

社会にとっては,そこを無理に探し出して
(質の低い原作で)アニメを作ってくれても意味がありません。

それでも作り続けるのは,
「会社の要請」 なのでしょう。

「社会の要請」の観点で言うなら,各制作会社には,
少なくとも制作スタッフが
「これは面白いと思ってもらえるはず」
信じられる作品だけを作ってもらえればよいのです。

その上で世間に受け入れられなかったとしても,
それは仕方がないです。

しかし,「これはあまり喜ばれないだろうな」
思いながら作られている作品も,
きっと多数あると思います。

そうしないと会社の経営を維持できないため,
社会に求められていないとしても,
やめるわけにはいかないのでしょう。

アニメやゲームの制作現場は過酷であると聞きます。

利用者にさほど喜ばれないと
予想される作品を作り続けるために
過酷な現場が形成され維持されているとすれば,
あまりに虚しく,悲しいことです。

競合店の密集(コンビニ,ガソリンスタンドなど)

同種の店の店舗間隔に関する「社会の要請」は,
適度な間隔で同種の店舗が並んでいて,
どこにいても労せずどれかに辿り着けることでしょう。

同種の店が狭い範囲にひしめいていても,
消費者にとって害こそないですが,
さほどありがたいわけでもありません。

コンビニエンスストアやガソリンスタンドなどについて
よく見られる光景ですが,
非常に狭い範囲に競合店が2つも3つも存在したりします。

これは,「社会の要請」と「会社の要請」のうち,
どちらに応えるものなのでしょうか。

コンビニの場合

ちょっと想像してみてください。

コンビニが並んで3軒建っていたら,便利ですか?

品揃えが微妙に違うので,比較できて便利とも言えますが,
社会の要請を考えると,同じ場所にコンビニが
何軒も建っていることは大してありがたくありません。

1軒もない地域に1軒建つと劇的に便利になりますが,
1軒が2軒になっても,1軒目に比べると
ありがたみが減るでしょう。

3軒目,4軒目ともなるとなおさらです。
コンビニ業界は,あまり価格競争もしませんし。

ガソリンスタンドの場合

ガソリンスタンドならコンビニ以上に然りです。

提供されるガソリンやサービスには
大して差がありません。

同じ場所にスタンドが複数存在しても,
1店舗ではさばききれないくらいの
交通量がある場所でもない限り,
社会にとっては全然ありがたくないと言えます。

飲食店の場合

また,飲食店が異常に密集している地域が
ところどころありますね。

それを見るたびに,こんなにたくさん必要か?
と疑問に思ってしまいます。

「社会の要請」だけを考えるなら,
その地域から人気の低い飲食店を何割か撤去しても,
飲食店街としての価値は保てそうです。

飲食店の場合は,数が足りないと
昼食・夕食の時間帯に客を捌ききれず,
それは「社会の要請」に十分応えられていないことになるので,
ある程度数が必要であることは分かります。

しかし,需要が減って供給過多になったとしても,
どの店舗も簡単に撤退はできません。
ゆえに供給過多が解消されず,競争の激化を促します。

その競争は,「社会の要請」に含まれるものではありません。
消費者にとっては有利な状況かもしれませんが,
そのために経営主たちが苦しむのは,
望ましい形ではありません。

しかし,実際にそうなっている飲食店街も
多いのではないかと思います。

「社会の要請」を少しでも超えて同種の店が
密集していたらNGだとは言いませんが,
度を超えて密集していながらその状況が是正されず,
過度の競争状態に陥っている地域は,
少なくないのではないでしょうか。

供給過多産業への無理な参入

それぞれの産業の供給量に関する「社会の要請」は,
単純ですが,供給量が需要量を上回っていることです。
つまり,物やサービスが不足しないことです。

ぜいたくを言うなら,物の供給量は,
需要量を「少しだけ」上回ることが望ましいでしょう。

大幅に上回ると,多くの在庫が古くなって売れなくなり,
資源が無駄になるからです。

サービスについてもそうかもしれませんね。
サービスの供給過多も,何らかの無駄使いを
伴っているはずですから。🛎️ 車の使いすぎによるガソリンの浪費,
書類の使いすぎによる紙の浪費など。

日本では,多くの分野で供給能力が
国内の需要量を上回っており,各分野の労働力🛎️ その分野に就職している人のほか,
就職を希望している人を含む。
 も
供給過多であると見て間違いないと思います。

その状況下で,失業者は何とか
仕事を見つけないといけません。

そんな中,もしも労働力の足りない分野で
職に就くことができた場合は,
その分野において不足していた供給能力を補ったことになり,
供給量に関する「社会の要請」の充足に
貢献する存在になれます。

しかし,ほとんどの分野において
労働力が足りている現代日本では,
ほとんどの人は,労働力が足りている分野で
仕事を探さざるを得ません。

そして,そのような分野で就職した人は,
よほど目立った活躍ができる人でない限り,
その分野の供給過多を助長するだけで,
社会の要請を満たすことに貢献することはできません。

仕事の内容自体は社会にとって
役立つものであったとしても,
それが既に供給過多であるなら,
社会にとってはありがたくないわけです。

このことは,非常に多くの分野に当てはまります。

また,無理に自営業を始める人も出てくるでしょう。

よほど斬新な内容でない限り,飲食店であれ,
雑貨店であれ,ファンシーショップであれ,
ほとんどの種類の店は,多くの地域において
需要を満たすだけの数が存在します。

そこに参入しても,社会にとっては
供給過多の度合いが進むだけで,
さほどありがたくないのです。

必要性の低い公共事業

公共事業に関する主な「社会の要請」は,
主に箱物を想定すると,大体次のようになるでしょうか。

  • 国民が求める施設を必要なだけ作ること。
  • 一地域に密集させず,適度に間隔を置いて作ること。
  • 国民が税金で負担できる範囲で作ること。

筆者は詳しくありませんが,
必要性が低いと言われる公共事業は
たくさんあると言われます。

事業そのものが社会に求められているわけではなく,
事業を行って受注業者にお金を与え,
その業者の従業員に支払われる賃金が増えることによる
景気浮揚を狙うだけの策です。

これなら,事業を行わずに業者にお金を与えた方が,
資源の無駄使いや環境破壊を伴わない分だけ
良いとさえ思います。

しかしそれだと,何もしない業者が
国のお金を貰うことになって示しがつかないため,
必要性が低くてもいいから
仕事を与えているということでしょう。

社会への貢献度が低い労働に
多くの労働力が流れる理由

前述したように,
現代の日本経済における労働力の使い方は,
かなり効率が悪いです。

特に,会社の利益を奪い合うための仕事
膨大な労働力を投入してしまっています。🛎️ そのような仕事が一切不要ということはありませんが,
現代日本がその点において過剰であることは,
多くの方が賛同されるでしょう。

それは不思議なことではありません。

各分野の生産効率は,技術の進歩🛎️ 科学技術だけではなく,
生産・在庫・流通・人員・財務等に関する
管理技術や事務処理の技術も含む。
 によって,
概して上昇の一途を辿ります。

片や,国内の需要は既に一通り満たされており,
これ以上内需が大きく伸びることはないでしょう。🛎️ 伸ばそうとするべきでもありません。

そのため,基本的に,
国内の需要を満たすのに
必要な労働力の量は減る一方
ということになります。

しかも,日本の場合,(輸入による調達も含めれば)
内需を十分に満たせるだけの供給能力を持つようになってから,
既に数十年経過しているのではないでしょうか。

その数十年の間も,各分野の生産効率は
伸び続けたはずです。

一方,国内需要は際限なく伸びるものではありませんので,
現在の日本は,多くの分野において,
かなり少ない労働力で内需を満たせるだけの
生産効率を持っているに違いありません。

そういった事情を無視して全ての労働力を
無理に使おうとすれば,
限られた需要を奪い合うための労働に
多くの労働力が流れてしまうのも当然と言えます。

労働力過多に起因する過労の問題

先ほど筆者は,現代の日本においては,
多くの分野で労働力が供給過多であると述べました。

それに対しては,次のような反論が予想されます。

日本の多くの分野で長時間労働や過労が問題になっている。
この国は労働力不足ではないのか。

直感的にそう思うのも無理はありませんが,
違うと思います。

確かに,一部の分野においては,
労働力不足(人材不足・就職希望者不足)
原因で長時間労働や過労の問題が起こっています。

労働力不足が深刻だと思われる分野

今思いついた分野を挙げてみると,
「農業」「物流」「介護」「学校教育」
などでしょうか。🛎️ 適当に挙げただけなので,
他にもあると思います。

ただし,これらのような労働力不足の分野が生じてしまうのは,
労働力の総量が足りないのではないと思います。

雇い主である国や企業の財務状況に余裕がないため,
十分な人数を雇えていないのが実態でしょう。

また,(詳しくは後述しますが)
財務状況に余裕のない企業が多いため,
お金の奪い合いを目的とする活動に
膨大な労働力を投入せざるをえなくなっています🛎️ 先の開閉ボックス内で
挙げたような労働のことです。

その結果,十分に労働力が提供されない分野が
生じてしまっているというのが,
日本の現状だと思います。

本当なら,お金の奪い合いはほどほどにして,
労働力を現在不足している分野に回せれば,
問題はかなりの程度緩和されるはずだと考えています。🛎️ もちろん,職業訓練は必要ですけれど。

しかし,それ以外の多くの分野で,
労働力の供給過多が原因で,
過酷な労働現場が作られている
と考えられるのです。

皮肉なことです。

普通に考えれば,仕事の量に比べて労働力が多いのであれば,
みんなで仕事を分け合ってみんなで楽ができるはずです。

しかし,資本主義経済ではその常識が通用しないようです。
少なくとも,現在の日本社会においては通用していません。

ある分野において,その分野で就職している労働者,
あるいはその分野への就職を希望する労働者が多すぎる場合,
その分野における物やサービスの供給能力は
需要量に比べて高くなります。

その状況下では,企業どうしが少ない需要を奪い合います。
しかも,現代日本においては,
経営に余裕がない企業が多いため,
各企業必死です。

その熾烈な奪い合いに勝つには,顧客に対し,
無理気味な好条件を提示しなければなりません。

低料金はもちろんのこと,飲食店や小売店においては
深夜営業や24時間営業,宅配においては即日配達,
製造・制作においては非常に早い納期,
といった具合です。

そんな条件で仕事を獲得した企業は,必然的に,
社員に対し低賃金・長時間労働を強いることになります。

社員も,それに従わざるをえません。
なぜなら,家計に余裕がなく,
仕事が辛くても辞められない労働者が多いからです。

そうでなくとも,労働力が全国的に供給過多であるため,
低賃金や長時間労働に文句を言う社員は
優先的にリストラに遭い,
他の社員に替えられてしまうおそれがあります。

そのため,仕事への不満を表に出すことさえ
はばかられるのです。

会社側から見れば,まさに
「代わりはいくらでもいる」という状況です。

しかも,労働力が全国的に供給過多であるため,
リストラされてしまった労働者は,
再就職にも苦労すると思われます。

したがって労働者は,就職のためには
低賃金・長時間労働をも厭わない姿勢見せなければならず,
就職してからは,実際にそのように
行動しなければならないのです。

ある分野で過労が多発していると,
一見すると労働市場にその分野の人材(就職希望者)
足りていないように見えてしまいますが,
必ずしもそうではないということです。

多分に推測が入っていますが,
感覚的には概ね納得していただけるのではないかと思います。

過労に関する報道を見ていると,
日本で発生している過労は,

人材不足で企業が労働者を十分に
確保できなかった

というケースもありますが,

労働力供給過多に起因する労働者間の過当競争の中で
過酷な労働条件を受け入れざるをえない労働者を
企業がいいように使っていた

というケースが多い印象があります。🛎️ 確定的なことを言うには
統計を取る必要がありますが。

ただし,単純に企業側を責めるわけにもいきません。

経営に余裕のない企業が多くなったことで,
企業間の競争も熾烈さを増しています。

各企業は,良心的な雇用をしていては
他社との競争に勝てないのです。

加えて,このような環境では,
付加価値のあるものを生み出すという本来の業務の他に,
企業間の競争に勝つための業務に忙殺されることになります。

多くの会社で,営業,広告宣伝,市場分析などの業務を
必死に行っているでしょう。

それらが過熱することは,
社会にとってありがたいことではありません。

すなわち,社会の要請に応えるものではありません。

しかし,当然過労の一因にはなります。
このタイプの過労を生み出している分野は多岐に渡ります。

もはや,日本社会は,
労働力過多により過労を生み出す構造
になっているように見えて仕方がありません。

解決の指針

この現状を,どのような方向で解決しましょうか。

筆者はやはり,次のような素人感覚を信じている方です。

  • 各分野の生産性は向上し続けているのだから,
    国民の労働時間を今より大きく減らしつつも,
    国民が必要とする物やサービスの供給量を
    維持することは可能であるはず。🛎️ 可能でないなんて結論は
    認められません。
  • ただしそれは,
    各社が他社との競争に勝つための業務を
    過度に行わないことが条件となる。

問題は,

現代の日本には経営に余裕のない企業や,
家計に余裕のない労働者が多すぎるため,
各社が過度の競争をせざるをえないこと

です。

そこさえ改善されれば,
国全体で労働時間を減らしていくことは
十分可能だと思っています。

そしてもちろん,浮いた労働力を
現在労働力不足とされる分野に回すことも
可能になるはずです。

AIに仕事を奪われるって何?

最近,AIに仕事を奪われることを
心配する声が増えています。

  • AIが何でも人間以上にできるようになると,
    人間の存在意義が問われる。
  • AIに仕事を奪われると,
    失業者が増える。

前者はまだ分かりますが,
後者は何がまずいのか,
個人的には全く分かりません。

ワークシェアリングしたら駄目なんですか? 🛎️ 実現のためには,社会全体で
色々取り組む必要はありますが,
実現困難というほどでもないでしょう。

いかにも素人っぽい考えですが,
これは経済学よりも素人考えの方が正しいと思います。

あらゆる分野の生産効率が上がり続けているのに,
人間が楽をできるようにならない経済学なんて,
正しいはずがないと思っていますから。

以上をまとめると,
財務状況に余裕がない企業や家庭が多すぎることが
諸悪の根源ということになります。

その部分を根本的に改善する道筋を示すには,
筆者の提唱する「累積黒字の考え方」が必要になります。

気になる方は,姉妹サイト<世界経済蘇生秘鑰>をご覧ください。

  • お急ぎの方は,理論の中核部分を解説した 概説ページ がおすすめです。🛎️ 短い文書ではありませんが,極めて平易です。
    標準的な高校生くらいの知識と読解力でも
    すんなり大筋を理解できると思います。

まとめ

改めて,この記事の主張を以下に示します。

この記事で主張したこと
  • 現代の日本の生産効率は,
    国内で必要とされる物やサービスを
    比較的少ない労働力で十分に供給できる水準にある
  • 現代の日本では,
    財務状況に余裕がない世帯や企業が多すぎるため,
    社会に貢献する仕事以外の,
    利益を奪い合うための仕事 が
    非常に多くなっている。🛎️ 営業,広告,マーケティングなどが典型例。
    それらは不要ではありませんが,
    現代日本において過剰であることは
    明らかでしょう。
  • 利益を奪い合うための仕事の増加が,
    過酷な労働環境を産み出している。
    労働力不足の分野が生じているのもそれが原因。
  • 各企業が利益を奪い合うための仕事を減らし,
    労働力不足とされる分野に労働力を回すことは,
    本来は問題なく可能であるはず。
  • 根本解決のためには,
    利益を奪い合うための仕事を減らしても問題ないと
    各企業が思えるような経済環境を作ることが必要。🛎️ そのための経済学試論を
    姉妹サイトで紹介しています。

読者様の思考の助けになる部分が
少しでもあれば幸いです。

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筆者について


「累積黒字の考え方」と題する
経済学試論の創始者。
並びに,上記試論を紹介するサイト
世界経済蘇生秘鑰>の創設者。

既存の経済学に
非常に詳しいわけではなく,
大学教養課程レベルの
マクロ・ミクロ経済学を
ひと通り学んだ程度と自己評価。

しかし,従来の経済学に
どっぷり浸かっていなかったからこそ,
従来の経済学と全く視点の異なる
上記試論が出てきたのではないかと
思っている。

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