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- 2023/07下旬 初稿公開
問題提起:累進課税は正当か
所得税の課税方式には,累進課税と定率課税があります。
読者の皆様は,どちらの方が正当だとお考えでしょうか。
定率課税の場合,各人の可処分所得は,
税引き前の所得に正確に正比例することになります。
つまり,毎月給料を30万円貰っている人は,
毎月の給料が20万円の人に比べて,
物やサービスを消費する権利の量が,
1.5倍付与されるわけです。
そのルールは果たして妥当なのかどうか。
もし妥当であるなら,
累進課税は高所得者層に対して
不当に厳しい税制ということになります。
そこで本稿では,
上記の経済ルールや累進課税の正当性について
考えてみたいと思います。
結論を先に知りたい方へ
この記事の主張を先に確認したい方は,
次の開閉ボックスを開いてください。
この記事で主張すること
- 購買・消費できる物の量が
稼いだお金の額に比例する現行ルールは,
過度の貧富の格差を招く理不尽なルールである。 - こんな理不尽な現行ルールは,
累進課税等によって大いにねじ曲げればよい。 - 上記のルールが世界中で採用されている理由は
「便利だから」である。
断じて「適正だから」ではない。 - 経済学を過信してはならない。
現代の経済学は,物やサービスを消費する権利の
適正な分配を実現できるようにはなっていない。
それでは,本論に入ります。
大昔からあるルールと原則
いきなり結論に近いことを言いますが,
仮に財政の問題がないとして,所得税のない社会,
または定率課税の社会を実現したとしたら,
それはとてつもなく 理不尽な社会 だと思っています。
そう思う理由を説明しましょう。
まず,次のルールをご覧ください。
商品の売買等により,
他者から合意の下で受け取ったお金は,
自分が物やサービスを消費するために,
全額自由に使用してよい。🛎️
所得税があるなら,
税金を引いた残りについて。
このルールは,大昔から世界中で採用されているものです。
これを,「原始的貨幣流通ルール」と呼ぶことにします。
(※筆者の造語です。略して「原始ルール」とします。)
このルールにより,所得税のない社会,
あるいは定率課税の社会においては,
次の原則もほぼ正確に成り立ちます。
各経済主体が物やサービスを消費する権利の量は,
各経済主体の所得に比例して決まる。
この原則を,ここでは仮に,
「購買力比例の原則」と呼んでおきましょう。
(※これも筆者による造語。)
これもまた,大昔からある基本原則です。
累進課税は,この原則を曲げるものです。
累進課税に反対する人は,
購買力比例の原則は正当であり,
累進課税はそれをねじ曲げるから不公平である
と考えているのでしょう。
一方,累進課税の実施・強化を支持する人の多くは,
大体次のような考えを持っていると思われます。
原則として,人は自身の所得と
同額の購買能力を与えられる(購買力比例の原則)。
例えば年収200万円の人は
1年間に200万円を使う権利を有し,
年収2000万円の人は
1年間に2000万円を使う権利を有する。
本来そうあるべきだが,
国はどこかから税金を徴収しなければならない。
低所得者層から多くの税金を取ると,
その人たちの生活が成り立たなくなってしまう。
なので,高額所得者には悪いが,
高額所得者から多めにいただくしかない。
筆者の考えは,どちらとも違います。
つまり,
購買力比例の原則は正当なので
累進課税は不当である
とは思っていませんし,
購買力比例の原則は崩れるが,
やむを得ないので累進課税を認めるべきだ
とも思っていません。
競争の結果による購買力の格差
次のような状況を思い浮かべてください。
購買力比例の原則が招く貧富の格差
P氏が,1個あたり1万円の利益が出る商品を開発しました。
Q氏もP氏と同じくらいの情熱を注ぎ,
1個あたり1万円の利益が出る別の商品を開発しました。
この2つの商品は用途がほぼ同じであるため,
消費者はこれらのうち1つを選んで購入します。
ただ,P氏の商品よりもQ氏の商品の方が
消費者の好みに合っていたようです。
P氏は,自分の商品を300個売り上げ,
300万円の利益を手にしました。
Q氏は,自分の商品を3000個売り上げ,
3000万円の利益を手にしました。
実際のところ,個数や金額はさほど重要ではないのですが,
Q氏はP氏の10倍の収入を得た,
それがこの話のポイントです。🛎️
定率課税であれば,
税引き後の可処分所得も10倍です。
この場合,P氏が1部屋借りられるアパートを,
Q氏は10部屋借りることができます。
P氏が1台買える中古車を,
Q氏は10台買うことができます。
P氏が1日に3回食事ができるなら,
Q氏は同様のメニューで1日に30回食事ができます。
P氏が1か月に1回理髪店に通えるなら,
Q氏は同じ理髪店に,1か月に10回通うことができます。
Q氏は,お金で買える全てのものに関して,
P氏に比べて 10倍の権利 を有します。
もちろん,こんな生活をする人が実在するとは思いません。
普通の感覚なら,消費する物やサービスの質を
上げようとするでしょう。
しかし,やろうと思えばできます。
P氏が消費する全ての物やサービスについて,
その10倍の量を1人で消費する。
そんな狂気に満ちた生活もやろうと思えばできるほどに,
Q氏には膨大な権利が与えられるのです。
これが,購買力比例の原則です。
そんな原則が正当であるはずがない ,
それが筆者の意見です。
P氏も,Q氏に負けないくらいの努力をしたのです。
結果的に売り上げに10倍の差がついたからと言って,
P氏に対して,物やサービスを消費する権利を
Q氏の10分の1しか認めないとは,
あまりに人情味に欠けるのではないでしょうか。
仮に売り上げに100倍の差がついたら,
100分の1ですか?
物やサービスを消費する権利の分配として,
それが妥当であるとは到底思えません。
「完全平等」と「所得に正比例」の
2つだけが正しいのか
車の免許は18歳から。
お酒やたばこは20歳から。
選挙権は18歳から,かつ1人1票。
配偶者は1人まで。
全ての国民に対して所得と関係なく
同じ条件で与えられる権利は,
これら以外にもたくさんあります。
それが妥当かどうかは筆者には分かりませんが,
大きな反発もなく世間に受け入れられているルールです。
このように,完全平等が妥当とされる権利もある一方で,
物やサービスを消費する権利の量は,
個々人の所得に応じて決まります。
その違いはどこから生じるのでしょうか。
そして,分配される権利の量が,
所得額により決まるだけではなく,
所得額に正確に正比例するべきであるとする
論拠はどこにあるのでしょうか。
それは,議論の余地もないほどに
当たり前のことであるとは思えません。
この世は命を賭けたお金の奪い合いになっている
また,前出の例え話において,
P氏の生活の豊かさが
主にP氏の行動によって決まるのではなく,
他者に大きく左右される点も気に入りません。
P氏は一定量の努力をして,
それなりの商品を開発しました。
実現性を無視して理想を言うなら,
P氏は自身の努力に見合った
一定の報酬を得られるのが妥当であるはずです。
しかしそうはなりません。
Q氏がP氏と競合する商品を作っていなければ,
P氏は大金持ちになっていたでしょう。
逆に,Q氏が圧倒的な商品を開発していれば,
売り上げに100倍,1000倍の差がついて,
P氏は極貧生活に追い込まれていた
可能性もあります。
P氏が一定量の労力を費やし,
一定の価値を持つ成果物を産み出しても,
P氏が裕福になれるかどうかは他人次第なのです。
他人に多少左右されるという程度であれば目を瞑りますが,
大富豪になっていた可能性もあれば
借金地獄になっていた可能性もあるのです。
なぜそんなルールを正義だと盲信できるのか,
全く理解できません。
Q氏はP氏よりも社会に対する貢献度が高かったのですから,
P氏とQ氏の生活に多少の差がつくのは構わないと思います。
しかし,売り上げ競争で10倍の差がついたから
物やサービスを購入する権利の量も10倍とは,
短絡的にも程がある というものです。
仮に,Q氏の製品が圧倒的で,P氏の製品が全く売れず,
P氏が生活できなくなったとしても,
それはP氏がQ氏に比べて弱かったから
生きるに値しなかったということでしょうか。
逆に,P氏がQ氏をはるかに凌ぐ商品を出していたら,
P氏がQ氏を貧困に追いやっていた可能性もありますが,
その場合,P氏は,他人の生活など知ったことではないと
美酒に酔っておけばいいのでしょうか。
筆者には,購買力比例の原則は,
人々は命を賭けてお金を奪い合い,
負けた者は死ねばいい。
そう言っているとしか思えません。
現実の日本社会においては,
生活保護や失業給付などで下支えしてはいるものの,
それでも経済的な絶望から自殺を考える人も少なくありません。
命を賭けたお金の奪い合いという表現は,
全く大げさではないと思います。
しかも,人々には,
お金の奪い合いに参加しない権利さえ
与えられていません。
他人からお金を奪うつもりがない人であっても,
他人が自分からお金を奪おうとしてきた場合は,
防御しないわけにはいかないのですから。
こんな原則は,累進課税等によって,
大いにねじ曲げられればいい のです。
ねじ曲げの方針
どのようにねじ曲げるべきかとなると難しいですが,
せめて,利益の奪い合いにどれだけ負けても,
社会貢献に寄与する可能性のある努力を
十分に行った人であるなら,
健康で文化的な最低限度の生活だけは当然のように
保証されるルールであってほしいと思います。🛎️
そうでない人については
議論の余地があるでしょうけれど…
原始的貨幣流通ルールが
現代でも採用されている理由
もっとも,
原始ルールおよび購買力比例の原則は
大いにねじ曲げられるべきである。
…この意見をすんなり受け入れられる人は少ないでしょう。
それは無理もないことです。
かく言う筆者も,この意見が間違っているはずがないと
頭では確信しているにもかかわらず,
心の奥底では,こんな一般常識からかけ離れた主張を
してしまって大丈夫かと,
疑念と不安を拭えずにいるくらいです。
主張している本人でさえこうなのですから,
この主張を突然聞かされた人に,
すぐに受け入れてほしいとは言えません。
しかしそれでも,
世界共通のルールになっているのだから正義だ
などと思い込まないでください。
そもそも,原始的貨幣流通ルールが
世界中で採用されている理由は何でしょうか。
この質問に対しては,
きっと誰でも似たような答えを言いますね。
便利だから です。
あるいは,分かりやすいからです。
決して,適正だからではありません。
原始ルールが世のスタンダードになった経緯など知りませんが,
このルールが採用されている理由が
「分かりやすくて便利だから」であることに異を挟む人は
まずいないと思います。
少なくとも,
物やサービスを消費する権利の
適正な分配が実現できるから
ではないでしょう。
そんな複雑な理由で採用されているとは思えません。
仮に「適正だから」という理由で採用されている
ルールがあったとしても,
それが本当に適正であるかを判断するには一考を要します。
「適正だから」以外の理由で
採用されているルールならばなおのこと,
その正当性については慎重に判断される必要があります。
利便性を理由に採用されている原始ルール。
そこから導かれる購買力比例の原則。
物やサービスを消費する権利を分配する方法として,
それらが適正であると盲信している人がいるならば,
ぜひとも一度,一から考え直していただきたい
ものです。
ただ,そうは言っても,原始的貨幣流通ルールについては,
今後も採用し続けざるをえないでしょう。
現実的な代替案が思いつかないからです。
ならばせめて,このルールは,
便利だから採用されているにすぎず,
適正な購買力分配を実現するものでは決してないことを,
人々が常識として共有しなければなりません。
累進課税について,
高額所得者に悪いと思う必要はない
現実には,日本においても,
所得に対し累進課税が行われています。
そして,それを理由に,
「高額所得者には十分に負担をお願いしている」
と考える人が多いのが現状です。
その考え方は,
年収1億円の人には年間1億円分の
消費を認めるべきであるのに,
その権利を何割も削ってしまっている
といった後ろめたさから生じるのでしょう。
その後ろめたさは,最初から感じる必要がないものです。
年収1億円の人に年間1億円分の消費の権利を
認める必要などありません。
累進課税で大いに調整するべきこと です。
高額所得者に悪いなどと思う必要もありません。
本来認めるべき権利を削るのではなく,
本来認めるべきでない権利を回収するだけなのです。🛎️
もちろんその後,
低所得者に分配します。
筆者の感覚では,やや極端かもしれませんが,
年収1億円の人の消費は,単身世帯であれば,
1年当たり1500万円分も認めれば十分でしょう。🛎️
単身でない世帯はまた別。
その考えを是とするなら,年収1億円の人からは,
その年収のうち8500万円を
所得税として回収するべきなのです。🛎️
これはあくまで筆者の個人的な感覚なので,
この部分の数値に同意を期待してはいません。
貧富の格差を本格的に緩和するための鍵は他にある
筆者は,近年の日本で深刻な社会問題になっている
貧富の格差の拡大について,
その拡大のペースを落とすのに
累進課税は有効であると考えています。
従って,筆者は累進課税の強化を支持しています。
ただ,累進課税の強化だけでは,
よほど極端な税制にしない限り,
格差拡大のペースを落とすことはできても,
格差の緩和にまでは至らないのではないかとも思います。
貧富の格差を適正な水準まで緩和するために必要な視点は,
他にあります。
筆者は,その視点こそが,
既存の経済学に決定的に欠けているもの だと
考えています。
その視点について述べることは,
当ブログの当カテゴリーの役割を超えるので,
気になる方は,ぜひ姉妹サイト<世界経済蘇生秘鑰>に
お越しください。
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短い文書ではありませんが,極めて平易です。
標準的な高校生くらいの知識と読解力でも
すんなり大筋を理解できると思います。
まとめ
改めて,この記事の主張を以下に示します。
この記事で主張したこと
- 購買・消費できる物の量が
稼いだお金の額に比例する現行ルールは,
過度の貧富の格差を招く理不尽なルールである。 - こんな理不尽な現行ルールは,
累進課税等によって大いにねじ曲げればよい。 - 上記のルールが世界中で採用されている理由は
「便利だから」である。
断じて「適正だから」ではない。 - 経済学を過信してはならない。
現代の経済学は,物やサービスを消費する権利の
適正な分配を実現できるようにはなっていない。
読者様の思考の助けになる部分が
少しでもあれば幸いです。