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独創性・確信度・効力は
自己評価です。
(違和感は評価というより感覚)
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- 2023/07下旬 初稿公開
経済成長はどこかで止まるのが自然
巷を席巻する経済成長渇望論は,
経済成長なくしては健全な経済を維持することも
できないかのような論調ですが,
そんなことはないでしょう。
常識的に考えて,
人は無限に豊かになれるわけではありませんから,
経済成長はどこかで止まるのが自然 だと思います。
止まらないのであれば,むしろ止めるべきです。
地球は1個しかないのですから,大事にしなければ。
日本のような成熟経済に成長が必要だなんて,
到底思えません。
どのようにゼロ成長を受け入れるかを考えた方が,
よほど現実的で建設的だと思います。
この記事は,従来の古い経済学に浸かりすぎた人に向けて,
素朴な感覚を思い出していただくためのものです。
結論を先に知りたい方へ
この記事の主張を先に確認したい方は,
次の開閉ボックスを開いてください。
この記事で主張すること
- 経済の有識者は,素朴な感覚を取り戻し,
なぜ成熟経済に経済成長が必要なのかから
考え直す必要がある。 - 本来,人口に比して生産物が足りているのなら,
人口も生産量もそのままで経済は維持できるはず。 - 日本の貧困問題は,お金や生産物の分配に
失敗しているために起きている。
経済規模や生産物の不足によって
起きているのではない。 - 日本の貧困問題を,経済規模の拡大によって
解決しようとするのは的外れである。
素直にお金の流れに注目した方が解決は早いはず。
それでは,本論に入ります。
その経済学,成熟経済でも通用しますか?
現在でも,古い経済学が幅を利かせている
世界中で通用している経済学の根底にある思想は,
かなり古いものですよね。
今でも主流とされるケインズ経済学や新古典派経済学は,
20世紀前半までに編み出されたものです。
多少の改良は加えられているでしょうが,
根底にある思想はそれほど変わっていないと
認識しています。
筆者はそれほど詳しくはないけれど
筆者の経済学に関する知識は,ずっと昔に
大学教養課程レベルの基本的な
マクロ経済学・ミクロ経済学を
ひと通り学んだ程度です。
しかし,日々の経済論争を見ていても,
筆者の知らない経済学が
基礎になっている印象はありません。
なので,筆者の知っている古いマクロ経済学は
今でも主流なのだろうと判断しています。
古い経済学が,成熟経済を想定しているとは思えない
そこで1つ,お尋ねしたいことがあります。
その経済学,今でも通用しますか?
特に,成熟経済 に通用しますか?
それらの経済学が編み出された当時,
成熟経済なんてものは,
世界中のどこにも存在しなかったはずです。
ならば,それらの経済学においては,
成熟経済は対象外どころか,
想定外 なのではありませんか?
経済学者が成熟経済に経済成長を求めてしまう理由
発展途上の経済ならば,生活基盤が不十分,
生産能力も不足気味という環境ですから,
経済規模の拡大,すなわち経済成長により
国民の生活を向上させるという考え方もよいかと思います。
しかし,まったく環境の異なる成熟経済下で,
同じ理論を適用しようとするのはどうなのでしょうか。
生活基盤がすっかり整い,
生産能力も余り気味という経済環境で,
それでもなお経済規模を拡大させようと考えるのは,
相当な違和感を覚えます。
日本のような成熟経済で起きる貧困問題は,
経済規模(GDP)の不足が原因ではありませんよね?
ならば,日本のGDPを拡大しても,
日本の貧困問題は解決に向かわないのではありませんか?
…といった数々の疑問をよそに,経済学者は今でも,
経済成長こそが正義という感覚で
経済を考えています。
それは一体なぜなのでしょうか。
経済学者が昔からずっと
経済成長のことばかり考えていたから,
そこから抜け出せずにいるだけではないですか?
つまり,先入観 と 惰性 ですね。
失礼であることは百も承知ですが,
それが経済学界の実態に近いのではないかと疑っています。
素朴な感覚を取り戻す必要がある
成熟経済で経済成長を追い求めることには,
違和感がいくつもあるはずです。
- 人は無限に豊かになれるのか?
- 経済は,成長を続けなければ,
健全な状態を維持することもできないのか? - 経済成長は,環境問題,食料問題,資源問題を
悪化させるのではないか? - 日本を含む成熟経済で起きる貧困は,
GDPの不足が原因ではないのではないか?
経済学者を含む経済の有識者の方々には,
まず上記のような素朴な感覚を
取り戻していただくことが重要であるように感じます。
生産量も人口もそのままで経済は維持できるはず
経済成長への盲信から抜け出し,
素朴な感覚を思い出していただくために,
1つ例え話をしたいと思います。
自給自足の小さな村を思い浮かべてください。🛎️
狩猟・農耕時代などを
イメージするとよいでしょう。
この村では,全員が生活するのに
必要な物資の生産は十分できており,
その生産物を分け合って暮らしているとします。
資源の枯渇等の問題も,
当面は心配ないと考えてください。
村民の需要がひと通り満たされているという意味では,
この村の経済は成熟経済と言えそうです。
さて,この村の経済を維持するのに,
経済成長は不可欠でしょうか。
そんなことはない です。
人口に比して,生産量は足りているのでしょう?
ならば,生産量はそのまま,人口もそのまま。
それで十分に,この村は細々と経済を
維持することができるはずです。
すなわち,ゼロ成長で問題ないわけです。
生産量や人口が増減していないにもかかわらず
この村の人々(の一部)が生活を続けられなくなるとすれば,
それは何らかの理由で生産物の分配が
うまくいかなくなった場合でしょう。🛎️
村の有力者が生産物を
集中的に保有するようになったとか?
規模の大きい経済でも,考え方を変える理由はない
現代の日本経済についても,規模が大きいからと言って
考え方を変える必要はないと思います。
現代日本の経済問題(特に貧困問題)は,
生産物の不足から来るものではありません。
そこに異を唱える人はいないでしょう。
日本の貧困問題は,単に
お金の分配に失敗していることが原因です。
お金とは,物やサービスを消費する権利を
可視化したものです。
日本では,何らかの原因で,
その権利を十分に持たない人が増えてしまったわけです。
だから,市場には物やサービスが溢れているのに,
それらの分配がうまくいっていないのです。
日本の貧困問題は,
そういうものだと考えるのが妥当です。
その問題を解決したければ,もっと単純に,
お金の分配をどのように修正するかを考えるのが本筋でしょう。
所得の格差も酷いが,貯蓄残高の格差が
より酷いかも
前述のように,日本経済はお金の分配に失敗しており,
過大な貧富の格差が生じているわけですが,
筆者は「貧富の格差」を,2つの要素に分けて考えています。
「所得の格差」と「貯蓄残高の格差」です。
これらはもちろん互いに関連するものですが,
必ずしも同一というわけではありません。
そして,現代の日本においては,所得の格差も酷いですが,
それ以上に貯蓄残高の格差が深刻になっているのでは
ないかと疑っています。
なぜ「所得の格差」と「貯蓄残高の格差」を
分けて考えた方がよいのか。
貯蓄残高の格差が酷くなっていると考えられる理由は何か。
そのあたりを説明するのは,
当ブログの役割を超えるので,
姉妹サイト<世界経済蘇生秘鑰>に譲ります。
よろしければそちらも覗いてみてください。
まとめ
改めて,この記事の主張を以下に示します。
この記事で主張したこと
- 経済の有識者は,素朴な感覚を取り戻し,
なぜ成熟経済に経済成長が必要なのかから
考え直す必要がある。 - 本来,人口に比して生産物が足りているのなら,
人口も生産量もそのままで経済は維持できるはず。 - 日本の貧困問題は,お金や生産物の分配に
失敗しているために起きている。
経済規模や生産物の不足によって
起きているのではない。 - 日本の貧困問題を,経済規模の拡大によって
解決しようとするのは的外れである。
素直にお金の流れに注目した方が解決は早いはず。
読者様の思考の助けになる部分が
少しでもあれば幸いです。