ウクライナ戦争のことを笑いながら話す解説者は冷たいか

2023/07/29

📂ウクライナ戦争 スタンスの違い 自己防衛手段 配慮と歩み寄り

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  • 所属カテゴリー: 【ウクライナ戦争】
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  • 2023/08上旬 プリゴジンのシャウトを微調整。
  • 2023/07下旬 初稿公開 🛎️ ウクライナ戦争まっただ中。

真面目な視聴者のコメント

ウクライナ戦争に関する報道番組などの動画に対し,
視聴者から,

人が死んでいるんです,
笑いながら解説しないでください。

のようなコメントが付くのをたまに目にします。

この種の意見をどう受け止めるべきか迷っている方も
結構いそうな気がするので,
筆者の考えを述べたいと思いました。

結論を先に知りたい方へ

この記事の主張を先に確認したい方は,
次の開閉ボックスを開いてください。

この記事で主張すること
  • 人の痛みが分かる心は美しいが,
    人の痛みが分かるほど良いわけではない
    人の痛みが分かりすぎて生活に支障が出るようなら,
    ブレーキをかけるべき。
  • 人は,多かれ少なかれ,
    他人事は我が事ではないと割り切っているもの。
    それは,度が過ぎなければ
    自己防衛手段として正当である。
  • 笑いながらウクライナ戦争の話をする人や,
    ウクライナ戦争に感情移入できない人も,
    筆者は特に冷たいとは思わない。
  • ウクライナ戦争に対するスタンスは人それぞれ。
    話す方と聞く方が,
    互いに配慮し歩み寄ることが大事。🛎️ ある程度心が整っている人どうしなら,
    深刻な対立にはならないはず。

それでは,本論に入ります。

人の痛みの遮断は,ある種の自己防衛

人の痛みが分かるほど良いわけではない

よく,人の痛みが分かる人間になれと言われますね。

確かに,人の痛みが分かる心は美しいです。

ただし,この訓戒は,
人の痛みが十分に分からない人が多いことを前提として,
その傾向を低減するためになされるものです。

人の痛みが分かれば分かるほど良いと
主張しているわけではないと思います。

そして実際,筆者は,
人の痛みが分かれば分かるほど良いわけではない
思っています。

自分の人生だけでも,余裕綽々の人は少ない

多くの人は,多数の悩みを抱えながら生きています。

  • 学業や仕事
  • 進路や身の振り方
  • 人間関係(家族,友人,恋愛,職場など)
  • 自身の存在の意味
  • 理想と現実の乖離
  • 周囲からの冷たい目や迫害
  • 病気や怪我
  • 金銭的貧困

自分の人生だけでも,余裕のない人は多いでしょう。

下手をすると,自分の悩みだけでも,
消化しきれずに自死を選ぶような人さえ,
少なからずいます。

その上,他人の痛みまで理解し,
一緒に悩むだけの余裕がある人は,
そう多くはないのではないかと思うのです。

人の痛みが分かりすぎるのも困りもの

もっと極端な話をしましょう。

ここに,世界中の悩みや苦痛について見聞きしただけで,
当事者と同等の悩みや苦痛を感じる人がいるとします。

1人で,世界の人間全員分の悩みと苦しみを,
当事者と同じレベルでです。

細かく考えるまでもなく,
その人の心は容易たやすく崩壊するに違いありません。🛎️ 筆者なら,数分も持たないと思います。

もちろん,こんな極端な人は
実在しないでしょう。

ここで筆者が言いたかったのは,
何事にも限度はある ということです。

人の痛みが分かる心は美しいです。

しかし,人の痛みが分かりすぎる人は,
自身の心に負担をかけすぎるおそれがあります。

実際,ウクライナ戦争に関するニュースで心を痛めすぎて,
生活や精神状態にいささか支障をきたしている人もいると
聞いたことがあります。

どんなに美しい心でも,
自分の精神にダメージを与えかねないなら,
あえて抑える必要もあります。

言葉は悪いですが,
他人事は我が事ではありません

多くの人にとって,
他人の苦しみまで自分の苦しみとして
全て共有するほどの余裕はないと思います。

筆者はある程度そう割り切っていますし,
そのことをもって,筆者は自分のことを
冷たい人間だとは思いません。🛎️ どちらかと言うと
冷たい方だとは思いますが。
謙遜とかではなく。

そして,筆者以上に割り切る人がいても,
その人を責める気にもなりません。

もちろん,割り切りすぎて
人の迷惑を考えないような人は駄目ですが,
ある程度割り切ることは,
人間に必要な自己防衛であると考えています。

なら,ウクライナを支援しなくてもよい?

他人事は我が事ではない。

だとしたら,

ウクライナ戦争は他人事なのだから,
ウクライナを支援しなくてもよいのでは?

との疑問が出てきそうな気がします。

それに対する反論は色々考えられますが,
ここでは1つだけ。

精神的な抑制を,頭で考えた結論に影響させるのは
良くないと思います。

頭で考えれば,多くの人が容易に,

国際法を無視して
民間人への非人道行為を重ねるロシアから
少しでもウクライナの国民を守るために
支援を行う必要がある

という結論に達するでしょう。

一方で,ウクライナの国民が
どれだけ酷い目に遭っているかを想像して,
自身の精神まで強い負荷に晒すのは,
望ましいことではないと思います。

その2つの結論は,連結するべきではありません。

精神的には,ウクライナ国民の苦しみに寄り添うのは
程々ほどほどにした方が良い。

だから,ウクライナへの支援はしなくてもよい。

…なんて結論になるはずはないですよね。

ウクライナ戦争に限らず,
他人の事情に自分が共感するかどうかと,
論理的に考えてその人の味方をすべきかどうかは,
別の問題と見なすのが妥当だと思います。

過酷な現実の中にも笑いは生じる

現在,ウクライナ戦争という悲劇が進行中です。

しかし,その渦中にいる人々に,
笑顔が一切ないわけではありません。

ウクライナ国内で生活する人も,
身近な人の戦死の悲しみを
一時的に忘れて笑うことはよくあると思います。🛎️ ウクライナの日常系動画などを
見ての印象。

むしろ,積極的に楽しいことを
探したり作ったりして笑い合うことで,
精神を保っているようでもあります。

それは,戦場でも同じです。

前線陣地の中で楽器を演奏したり,
動物と戯れたり,
野砲を撃つ際にポーズをとってみたり。

その一方で,戦場にいない我々が,
ウクライナ戦争について話す時は
常にしかめっ面でなければならないとするなら,
それは少々変な話だと感じます。🛎️ 戦場にいないからこそ,
という意見もあるかもしれませんが。

筆者もウクライナ戦争の出来事で笑うことはあるか

筆者は,いい子ぶるつもりはありません。

ウクライナ戦争という悲劇の中の出来事でも,
筆者が可笑おかしいと思ったことは
遠慮なく笑っています。

少し古い例ですが,
民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジンが
出した動画は痛快でした。

プリゴジンが鬼気迫る表情で
ショ
って叫んでるあれです。🛎️ 記憶に残っている人も多いはず。

違法軍事会社の社長ごときが,
ロシア正規軍のトップ2人を
呼び捨てで罵倒ですからね。

あれだけ言論弾圧の激しい
ロシアでですよ。

政府や軍,ワグネルの内情が
一体どうなっていれば
あの動画が出てくるのか。

それを想像しただけで
変な笑いが込み上げてきます。

筆者は,この動画を初めて見た日,
これ1つで一日中笑っていました。

不謹慎ですか?

不謹慎ですよね。

だってあの動画,プリゴジンの後ろには
多数の遺体が映っていたそうですから。🛎️ 私が何箇所かで見たその動画は
いずれも加工済みで,
遺体はぼかされたり隠されたりしていたため,
笑いやすかった面もありますが。

ロシア側の兵士が
全員悪人ということはありません。

戦争の大義に疑問を感じながらも命令に逆らえず,
葛藤を抱えながら戦場におもむき,
命を落とした兵士も多いでしょう。

仲間をかばって死んだ兵士も
いたかもしれません。

死ぬまでの過程においても,多くの兵士が,
戦闘で負った傷の焼け付くような痛みに悶えながら,
生への執着を断たれたことでしょう。

死んだ仲間の遺体を集める作業は,
一体どのような気分なのでしょうか。

回収が遅れて腐敗が進んだもの,
原形を留めていないもの,
1つに繋がっていないものもあるでしょう。

その作業でトラウマになる兵士も,
きっと多いはずです。

想像しようと思えば,
いくらでも広がります。

戦死者の中には,
前途ある有望な若者もいたでしょう。

ロシア本国に愛する家族を
残してきた兵士もいたでしょう。

愛する夫,父親,息子を奪われて
遺された家族の気持ちはいかばかりでしょうか。

遺族の生活はどうなるのでしょうか。

心に深く負った傷は,
いつまで続くでしょうか。

精神を保てず,非行や自傷行為に走るような人も,
数千人,数万人単位で出てくるのでしょうか。

癒やすすべはあるのでしょうか。

そこには,憎しみの連鎖の種が
数多あまた生じているに違いありません。

そんなことは分かっています。

分かった上で笑っています。

筆者は,自身の人生に
さほど余裕はありません。

それでも,自身の精神にダメージを負わない程度には,
他人の苦しみにも思いを馳せたいとは思います。

しかし,被侵略国であるウクライナの国民の分だけでも,
重すぎて到底消化できません。

侵略国であるロシアの兵士にまで同情する余裕は,
残念ながらありません。

筆者は,ロシア側の兵士の苦痛や
遺族の悲しみ等については,
あまり考えないようにしています。

それが正しいと思っているわけではありませんが,
自身の精神を維持するために必要なことです。

そうすると,前述の動画で言えば,
プリゴジンのシャウトの
滑稽さと痛快さが残ります。

不謹慎だからと言って,
これを笑うまいとするストレスも,
なかなかの負担です。

1回だけであれば我慢してもよいですが,
終わりの見えないウクライナ戦争に
興味を持ち続けていれば,
同じような状況は何度も出てくるでしょう。

それを全部我慢するのは,
健康に良くないと思います。

だから,可笑しいと思ったことは,
今後も遠慮なく笑います。

ただし,それを笑いものにすることを
嫌悪する可能性がある人の前では控えます。

そこが筆者の定めたラインであり,
個人的には妥当なところだと思っています。

大事なのは配慮と歩み寄り

色々なスタンスの人がいる

ウクライナ戦争に対するスタンスは人それぞれです。

ざっと挙げるだけでも,次のように,
様々なスタンスの人がいます。

  • ウクライナ戦争について,真剣に話したい人。
  • ウクライナ戦争について,気楽に話したい人。
  • 心が痛みすぎるので,ウクライナ戦争のことを
    耳に入れたくない人。
  • ウクライナ戦争に興味がない人。

筆者の意見としては,
基本的に個々人の立場は尊重するべきだと考えています。🛎️ 興味がない人は
できれば興味を持ってほしいとも
思いますが。

ですから,例えば,
会話の相手が真剣に話したいタイプであるのに,
こちらが笑いながら人の死が絡む話をしたら,
相手は不快に思うかもしれません。

特に,ウクライナ軍兵士の死傷を
揶揄やゆするような発言が出てきたら,
ウクライナ側を応援する人は内心怒るでしょう。

会話の中で,そうならないように
配慮することが大事です。

スタンスの違いに対する寛容さも必要

逆に,話を聞く方も聞く方で,
自分の感性と合わない話し方をする人であっても,
寛容に受け止めてあげたいところです。

こちらが真剣な話を聞きたいタイプであるのに,
相手が笑いながら話をしてきた場合,

  • この人は自己防衛が強めの人なんだな
  • この人は今はそういう気分なんだな

と,自分との違いを受け入れてあげるのです。

もちろん,自分だけが我慢する必要はありません。

「でも,人が死んでるんだよね…」のようなことを言えば,
相手もはっとなって,控えめな話し方に切り替えるでしょう。

ウクライナ戦争のような重大事について話す際には,
このような配慮と歩み寄りが大事だと思います。

報道番組の司会者や解説者も同じ

報道番組の司会者や解説者も,
ウクライナ戦争を悲しんでいないなんてことはありません。

とは言え,いつ終わるかも分からない
ウクライナ戦争に対して
常に痛みを感じていては精神が持たないでしょう。🛎️ 試合時間の長いスポーツで,
最初から最後まで全力プレーはできないのと
同じだと思います。

また,同一人物であれば,
常にスタンスが一定というわけでもありません。

その日の気分によって,
怒りや悲しみが前面に出る日もあれば,
滑稽な出来事について笑いたい日もあるでしょう。

もちろん,出演者は,
様々なスタンスの視聴者がいることを理解して,
配慮する必要はあります。🛎️ 筆者がこれまで見た限りでは,
日本の報道番組において,
その配慮を著しく欠いている出演者は,
幸いにしてあまり見かけません。

一方で,我々視聴者が報道番組等を観る際は,
自分の性格や気分と合わないこともあるかもしれませんが,
そこは理解して寛容でありたいものだと思います。

まとめ

改めて,この記事の主張を以下に示します。

この記事で主張したこと
  • 人の痛みが分かる心は美しいが,
    人の痛みが分かるほど良いわけではない
    人の痛みが分かりすぎて生活に支障が出るようなら,
    ブレーキをかけるべき。
  • 人は,多かれ少なかれ,
    他人事は我が事ではないと割り切っているもの。
    それは,度が過ぎなければ
    自己防衛手段として正当である。
  • 笑いながらウクライナ戦争の話をする人や,
    ウクライナ戦争に感情移入できない人も,
    筆者は特に冷たいとは思わない。
  • ウクライナ戦争に対するスタンスは人それぞれ。
    話す方と聞く方が,
    互いに配慮し歩み寄ることが大事。🛎️ ある程度心が整っている人どうしなら,
    深刻な対立にはならないはず。

読者様の思考の助けになる部分が
少しでもあれば幸いです。

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筆者について


「累積黒字の考え方」と題する
経済学試論の創始者。
並びに,上記試論を紹介するサイト
世界経済蘇生秘鑰>の創設者。

既存の経済学に
非常に詳しいわけではなく,
大学教養課程レベルの
マクロ・ミクロ経済学を
ひと通り学んだ程度と自己評価。

しかし,従来の経済学に
どっぷり浸かっていなかったからこそ,
従来の経済学と全く視点の異なる
上記試論が出てきたのではないかと
思っている。

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